Last update: 10 July 2008
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AUと嶋本昭三 1975年に1960年代に活躍したアーティスト達が結集してアーティスト・ユニオンが結成されました。呼びかけ人は画家吉村益信でした。日本の多くの現代芸術家が集まり、話題を呼んだのですが派手なアピールが続いたので経済的について行けず、代表交替となりました。 そこで1976年主要メンバーが岐阜県郡上八幡に集会をもち投票したところ、具体の創立会員でかつ名づけ親の嶋本昭三が合議体事務局長に選ばれました。そして日本の各地で現代芸術の発表が持たれ嶋本は事務局長としてそれらを応援しました。 嶋本は「具体」の時代に具体誌を編集し世界の美術関係者達にそれを送付する役をしておりました。 そこでアーティスト・ユニオンが世界とネットワークを持つためにタブロイドの大きさの印刷物を時に応じて発行し、2006年1月164号が発行されています。その発行はニューヨークのジョージ・マチュナスが発刊したFluxus誌とよくなぞらえられます。 アーティスト・ユニオンという名前はよく組合運動と誤解されることが多いので、1980年にAとUを残してArt Unidentified略名AUに致し日本と海外に送付されています。 メンバーの多くは1960年に活躍した現代美術家が多く一方嶋本昭三は「具体」の精神に則って創造的なアートを世界にアピールし続けたので権威にこだわる創立メンバーは次第に離反に行きました。 1962年Fluxusの創立メンバーレイ・ジョンソンはメールアート宣言をし、世界の現代芸術家達のネットワークによる交流を提唱しました。AUの印刷物はメールアートメンバーにも多く選ばされ嶋本昭三に長年にわたって送付交流致しました。 AUメンバーは権威にこだわるアーティストが去り若いアートを出す人達が多く集まるようになっています。彼らは従来のメンバーに比べると未熟な点が多いが嶋本は新しい創造を生む土壌として彼らを歓迎し、様々な試練の機会を与えています。 AU誌送付によって世界のアーティスト達との交流が生まれる中で彼らにチャンスを与え同時に嶋本も絶えざる若返りを続けています。 |
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